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東京高等裁判所 昭和55年(う)300号 判決

被告人 武藤憲孝

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人津川哲郎が提出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事西岡幸彦が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は被告人の司法警察員に対する供述調書、被害者甲野春子、乙野夏子、丙野秋子の検察官に対する各供述調書等に基づき被告人がわいせつの故意で各被害者を抗拒不能に陥らせ同女らを全裸にさせたうえさまざまなポーズをとらせて写真撮影をし、さらに同女らが抗拒不能であるのに乗じてわいせつの行為をしたとの事実を認定しているが、被告人及び右甲野らの各供述調書には任意性、信用性がなく、また被告人がわいせつの意図の下に同女らを抗拒不能に陥らせたこともその抗拒不能に乗じてわいせつの行為をしたこともなく、また、たとえわずかに同女らの全裸姿態を写真撮影しあるいはその身体に触れた事実はあるとしても、右はいずれも同女らの自由意思に基づく同意を得たうえでの行為であつて強制によるものではないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、原判決が罪となるべき事実として認定した事実は、被告人は、音楽家、マネキン、モデル等の職業紹介を業とする有限会社大出芸音プロダクシヨンの取締役で、実質上これを経営しているものであるが、第一 モデルの志願者としてスカウトした甲野春子(当一九年)に対しわいせつの行為をしようと企て、(一)昭和五四年六月二六日ころの午後二時三〇分ころ、写真を撮影するからと言葉巧みに申し向けて、同女を東京都渋谷区千駄谷四丁目二七番一三号マンシヨン「シヤトレー代々木」六階六〇三号室の同プロダクシヨンスタジオに誘い込み、同所において、同女に対し、「モデルになるための度胸だめしだ。写真を撮るから裸になれ。この部屋には誰も入つて来ないのだ。恥ずかしいことはない。」などと申し向けて全裸になることを要求し、同女をして、全裸になつて写真撮影されることもモデル等になるため必要なことであり、これを拒否すればモデル等として売り出して貰えなくなるものと誤信させて抗拒不能に陥らせ、よつて、そのころから同日午後三時三〇分ころまでの間、その場で同女を全裸にさせたうえ、さまざまなポーズをとらせて写真撮影をし、更にその際、同女が全裸で被告人と二人きりの部屋にいるため抗拒不能であるのに乗じ、乳首の格好を良くすると称して同女の両乳首を吸うなどし、(二)同年八月一日ころの午前一一時ころ、「ジーパン姿で写真を撮影するから来てくれ。」などと言葉巧みに申し向けて、同女を前記スタジオに誘い込み、出入口ドアを施錠したうえ、同所において、同女に対し、「トレーニングを始める。トレーニングは裸でするんだ。」などと申し向けて全裸になることを要求し、同女をして前同様に誤信させて抗拒不能に陥らせ、よつて、そのころから同日午後一時ころまでの間、その場で同女を全裸にさせたうえ、さまざまなポーズのトレーニングと称する行為をさせ、あるいは写真撮影をし、更にその際、同女が前同様の状況にあるため抗拒不能であるのに乗じ、前同様に称して同女の両乳首を吸い、あるいは同スタジオ内のシヤワー室において、病気の予防と称して水虫治療薬「デシコート・ゲル」をつけた指で同女の陰部を弄ぶなどし、もつて、それぞれ強いてわいせつの行為をし、第二 モデルの志願者としてスカウトした乙野夏子(当二一年)に対しわいせつの行為をしようと企て、同年七月一六日ころの午後一時三〇分ころ、写真を撮影するからと言葉巧みに申し向けて、同女を前記スタジオに誘い込み、出入口ドアを施錠したうえ、同所において、同女に対し、「モデルと会社の人間との関係は、親密でなければならない。恥ずかしがつているようではプロ根性が足りない。ほら脱げ。」などと申し向けて全裸になることを要求し、同女をして、全裸になつて写真撮影されることもモデル等になるために必要なことであり、これを拒否すればモデル等として売り出して貰えなくなるものと誤信させて抗拒不能に陥らせ、よつて、そのころから同日午後三時ころまでの間、その場で同女を全裸にさせたうえ、さまざまなポーズをとらせて写真撮影をし、更にその際、同女が全裸で被告人と二人きりの密室内にいるため抗拒不能であるのに乗じ、前記シヤワー室において、石けんをつけた手で同女の内股から陰部付近をなでまわすなどし、もつて、強いてわいせつの行為をし、第三 モデルの志願者としてスカウトした丙野秋子(当一六年)に対しわいせつの行為をしようと企て、同年八月二日ころの午後四時ころ、写真を撮影するからと言葉巧みに申し向けて、同女を前記スタジオに誘い込み、同所において、同女に対し、「写真を撮るから裸になれ。時間がないから早くやれ。度胸がないと一流のモデルにはなれない。早くしなさい。」などと申し向けて全裸になることを要求し、同女をして、全裸になつて写真撮影されることもモデル等になるため必要なことであり、これを拒否すればモデル等として売り出して貰えなくなるものと誤信させて抗拒不能に陥らせ、よつて、そのころから同日午後五時ころまでの間、その場で同女を全裸にさせたうえ、さまざまなポーズをとらせて写真撮影をし、更にその際、同女が全裸で被告人と二人きりの密室内にいるため抗拒不能であるのに乗じ、前記シヤワー室において、石けんをつけた手で同女の腰部、尻部、内股及び陰部などをなでまわし、あるいはシヤワーの蛇口を同女の陰部にこすりつけるなどし、もつて、強いてわいせつの行為をしたものである、というところ、関係資料によれば右甲野、乙野及び丙野(以下被害者らという。)の検察官に対する各供述調書及び被告人の司法警察員に対する供述調書の任意性は優にこれを認めるに足り(なお、被害者らの警察調書、被告人の検察調書は証拠申請がなく本件記録中に存しない。)、これらの証拠を含む原判決挙示の各証拠によれば原判示事実は十分これを肯認することができるのであつて、原判決に所論主張のような事実誤認があるとは認められない。以下所論にかんがみ若干付言する。

先ず、被害者らの検察官に対する各供述調書の任意性について判断すると、被害者らはいずれも当審公判廷において捜査段階における取調の不当性について種々証言し供述調書記載内容の虚偽性を強調しているが、これを同女らの検察官に対する各供述調書の任意性判断という観点から要約すれば、甲野春子は、警視庁渋谷警察署の警察官は他に大勢の警察官が居る前で興味本位の質問をしたり誘導的な取調を行い、さらには「被告人は職業紹介もしないで若い女性を何十人も何百人も騙しているひどい奴だ。」などと言つたので、自分は恥しさや被告人が警察官のいうような悪い人間であるなら少々事実と違つても構わないとの気持などから事実に反する誘導をあいまいに肯定し、また東京地方検察庁副検事上沼豁郎は右のようにして出来上つた警察調書をもとにしてポイントをついて尋ねただけで検察調書を作成し、その際自分は警察調書と違うことをいうと偽証罪になると思つたことなどから警察調書が事実に反するとは述べなかつたといい(当審公判調書中の証人甲野春子の供述記載)、乙野夏子は、警察官が「被告人はレツスンのためと騙してわいせつ行為をしている。」などというので、自分は被告人に対して悪感情を抱き、警察調書に事実と違う記載もあつたがあえて訂正を求めず、また上沼検察官は事実を押しつけるような取調を行つて作文ともいえる検察調書を作成したもので、自分は調書読み聞けの際事実に反する記載のあることは判つていたものの、警察調書と合わないとまずいと思つて訂正を求めなかつたといい(当審公判調書中の証人乙野夏子の供述記載。なお、同女の原審弁護人あて書簡中にも、警察調書は少々大げさである旨の記載がある。)、丙野秋子は、警察官は「被告人は悪い人間だ。」などと言いながら誘導的な尋問をし、否定の応答をすると「いやらしい女だ。」と言うなどし、いやらしい質問をして反応を楽しむようなところもあつたので、自分は警察官に変に思われたくないという気持や面倒くさいとの気持から誘導に合せたり、あいまいに応答し、また上沼検察官の取調に際しては警察調書と違うことをいうと罰せられるとまでは行かなくとも何か自分に不都合なことが起きると思つてそれに合せた供述をしたというもの(当審公判調書中の証人丙野秋子の供述記載)であるところ、取調警察官が被告人の人格ないし行動を悪し様に言つたとの点については、甲野の検察官に対する供述調書(第二回)の中に「私は警察の調べを受けて私と同じ目にあつた女の子が大勢いることもわかり部長さん(被告人)のやつたことは許せないという気持から告訴し処罰して貰いたいと思つているのです。」との記載があり、丙野の検察官に対する供述調書(第二回)中にも同趣旨の記載があることに照らし、取調警察官らがことさら被告人を誹謗するような表現を用いたとすることには疑問があるものの、すでに被告人が写した二〇名近くの女性の全裸写真を押収などしていた同警察官らが、被告人は他にも多くの女性を騙してわいせつ行為をしているという趣旨の発言を取調の過程あるいは告訴状の提出を求める際にしたものと推認するに難くなく、また被害者らに対する取調の場所については、取調警察官菊永政弘及び同高橋正晴の当審公判廷における各証言により乙野、丙野の場合には個室である家事相談室が使われたことが認められるが、甲野の場合はそれが明らかでなく、他の警察官も執務している部屋が使われた可能性もないわけではない。しかしながら、警察官の右のような発言(あるいは被告人を誹謗するような発言)が甲野ら被害者の怒りを駆り立てるなどして積極的に虚偽の供述をさせたというような事情は、関係資料をし細に調査してみても全くこれを見出すことができず、現に被害者らの右各証言によつても、警察官の言うことを聞いて被告人に悪感情を抱き警察官の誘導に応じたという程度のものに過ぎず、また本件捜査責任者であつた深見壽の当審公判廷における証言や前示菊永、高橋の各証言によれば、渋谷警察署では女性の取調については慎重を期し他の目を避けて個室で取調べたり、しかも一対一になることによつて不安を与えないためドアは開けておきあるいは立会者を置くなどの配慮をしていたもので、ことに本件捜査の担当は防犯課少年係であり、普段から被疑者について取調に当たつて慎重な配慮をすることに習熟していた事情も窺われるから、本件において参考人であり婦女子である被害者らをことさらな意図の下に多数の目にさらして取調べたとは到底認められず、甲野の場合にたまたま他の警察官も執務する部屋が用いられたとしても同様な配慮のもとで取調がなされたと推認できるから、前示の警察官の発言や取調場所のいかんによつて被害者らの警察官に対する供述の任意性が損なわれることはないというべきである。そして警察官のこのような取調状況に照らしさらに検討すると、被害者らの証言中、前示のように警察官が卑猥な言葉を使いまたは興味本位の質問をするので、恥しさから誤つた誘導にも応じたり、あいまいな応答をしたとの供述部分については、その質問と応答との関係が具体性に乏しいためたやすく採用し難いばかりでなく、事案の性質上警察官の取調が被害者らにある程度の羞恥心を生じさせたであろうことは推認できるとしても、それが被害者らに任意の供述をはばからせるほど極端な羞恥心を与えたというような事情は全く認められないから、この点によつても被害者らの警察官に対する供述の任意性は否定されない。また取調警察官が誘導的な取調を行つたとの点についても、被害者らが羞恥心などから積極的に供述しないためある程度の誘導を行つたとの推認は可能であるとしても、虚偽の供述を誘発するような誘導がなされたことを窺わせる事情もまた何ら認められない。そこで次に、被害者らの検察官に対する各供述調書が警察調書の引き写しに過ぎないとの点を含め検察官の取調状況について検討すると、上沼検察官は、被害者らは真面目な態度で取調に応じたもので、警察官の取調について苦情などを述べたことはなく、その取調方法は警察調書にとらわれることなく改めて被害者らから供述を求めたものであつて、警察調書に基づく誘導的な取調はしていないと証言する(当審公判調書中の証人上沼豁郎の供述記載)ところ、本件記録中の被害者らの検察官に対する各供述調書には、被害状況等に関する詳細かつ具体的な供述が記載されているうえ、重要事項については問答体の記載もあり、さらに甲野の供述調書(第二回)には、問「警察でその際乳房をもんだり陰部をなぜたりしてから陰部に指を突込んできたと状況を説明しているようだがどうか。」答「ことさら陰部をなぜるとか指を突込んでくるという状況はなかつたと記憶していますので私が警察でそのように申しているとしたら……訂正して下さい。」との記載が、丙野の供述調書(第二回)には、問「警察で陰部に指を突込んだと話しているようだがどうか。」答「……指が浅く穴の中に入つたこともわかりましたが、突込んだという状況ではなかつたので只今申したように訂正して下さい。」との記載があり、また乙野の供述調書には、読み聞けのあとで一部訂正の申立があつたとして訂正した供述が記載されていることなどに照らし、右上沼証言は信用できること、被害者らも上沼検察官の取調には無理がなく、同検察官は淡淡とした取調を行つたなどと証言していること、乙野は上沼検察官が事実を押しつけ調書を作文したかのようにいうものの、他方では検察官による無理押しの取調はなく、自分は思つていることを正直に話し、読み聞けの際大きな点で事実と違う記載があるとは気づかなかつたなどと証言していること、また被害者らの証言中、警察調書と違うことをいうと偽証罪などに問われると思つたとの部分はいささか不自然であるのみならず、甲野及び丙野は現に前引用のとおり警察官に対する供述を一部訂正していることなどの諸事情を併せ考えると、被害者らの検察官に対する各供述調書が警察調書の引き写しであるなどとはいえず、仮に警察官の取調に何らかの瑕疵があつたとしてもそれを引継ぐものでなく、その任意性は十分に肯定することができると認めるのが相当であり、なお被害者らは被告人を告訴した点について、告訴意思がなかつたとか告訴の意味を知らなかつたなどと証言しているが、上沼証言によれば、同検察官は既に渋谷警察署長あてに告訴状を提出していた被害者らに対し改めて告訴の趣旨を説明したうえ告訴意思のあることを確認していることが認められるから、告訴の有効性についても問題はない。以上により被害者らの検察官に対する各供述調書に任意性がないとの所論は採用するに由ない。

次に、右各供述調書の信用性について判断すると、前叙のとおりその記載は詳細かつ具体的であつて、実際に経験した者の供述であることを強く推認させ、また重要な事項については問答体をとり、訂正すべき点については訂正の記載をするなど供述録取の正確性に対する配慮もなされており、さらにその供述内容は自然で合理的であること、他方被害者らは当審公判廷において、自ら納得して全裸になり、また被告人はシヤワー室に入つて来て身体を洗つてくれたりしたが、これも納得のうえのことであり、その間いやらしさや不安を感じたことは全くなかつたなどと検察調書と異なる証言をしているところ、右のような体験はヌードモデルを志望するわけでもない若い女性にとつては極めて異常なこととして羞恥心のほか不安感などを抱くのが通常であると考えられることに照らし被害者らの証言はまことに不自然といわざるを得ないことなどの諸事情を総合すると、仮に被害者らが検察官の取調時において被告人に対し悪感情を抱き、あるいは被害事実を供述するについて何がしかの恥しさを感じていた事実が存するとしても、被害者らの検察官に対する各供述調書の証明力は高いものと認めるのが相当である。なお所論は、甲野及び乙野の検察官に対する各供述調書に関して、甲野が原判示第一の(一)の被害を受けたといいながら、その後再びスタジオへ出向き同第一の(二)の被害を受けるというのは不自然であり、同様に乙野が同第二の被害を受けたといいながら、その後再びスタジオを訪れて任意に被告人と二人でスタジオ内に入つたのは不自然であると主張するが、右各供述調書によれば、甲野は被告人方従業員よりジーパン姿の写真をとるとの連絡があつたので原判示第一の(二)の日にスタジオへ赴き、被告人から裸になれと言われた際「今日はジーパン姿で写真をとるのではないんですか。」と尋ねたが、「トレーニングは裸でやるんだ。」ときびしい口調で言われるなどしたため全裸になつたというのであり、乙野は原判示第二の被害を受けたあと被告人から電話連絡があつたので所属契約をしている以上出向くのが当然と考えてスタジオへ赴き、スタジオ内に入つた際には被告人に対し先手をうつて「今日は生理ですから。」と言い、全裸にされるのを免れたというのであつて、これらの記載内容は合理的で首肯でき不自然とはいえないから、被害者らの検察官に対する各供述調書の信用性を争う所論も採用するに由ない。

次に、被告人の司法警察員に対する供述調書の任意性について判断すると、被告人は昭和五四年八月一〇日本件捜査の端緒となつた丁野冬子に対する強制わいせつ容疑で逮捕され、引続き勾留されたのち同月二九日丙野に対する強制わいせつの被疑事実により再逮捕され、同年九月一日勾留されたものであるところ、被告人の当審公判廷における供述、被告人作成の原審裁判所あて上申書によれば、警察官は逮捕当初から連日被告人を厳しく取調べ、被告人はこれに対して頑強に否認を続けたが、同年八月一八日ころ警察官から、事実を認めないと家族や従業員さらには被告人が世話になつている代議士を逮捕したり呼び出したりする旨脅迫されたためこれを恐れ、この際は警察官の言いなりに事実を認め、あとで検察官に対し本当のことを述べようと決心して警察調書に署名指印したというのであつて、これに添うかのように原審記録中に被告人の司法警察員に対する同年一九日付の自白調書二通(甲野及び乙野関係のもの)が存し、また被告人が上沼検察官の取調に際しては外形的な事実関係は別としてわいせつ目的や強制の点を否認していることが認められるわけであるが、他方、被告人の司法警察員に対する同月三〇日付、同年九月三日付各供述調書(丙野関係のもの)によれば、被告人は外形的事実はほぼ認めているとしてもわいせつ目的や強制の点は完全に認めているわけでなく、ことに八月三〇日付供述調書には、問「丙野はこの時恥しくてためらつていると、しつこく裸になれと強要されたと言つているが。」答「絶対そんなことはありません。」との記載とか、自分が丙野に対してした行為は別に悪いものではないとの記載などがあり、これら調書の存在に照らすと、警察官の脅迫により以後その言いなりに事実を認めることにした旨の被告人の供述は採用できず、かえつて被告人は自らの意思によつて捜査官に対する供述態度を完全自白から実質否認の方向へ変えたものと認められ、他にも警察調書の任意性を疑わせる事情はないから、この点の所論は採用するに由ない。また、右四通の警察調書はその記載内容に照らし、さらに被害者らの検察調書と対比して信用できる部分が多々あるから、その証明力が全くないとの所論も採用しない。

ところで、所論は、被告人にはわいせつの意図がなかつたといい、被告人が被害者らを全裸にさせて写真撮影をした目的やその身体に触れた意図は被害者らにカメラ度胸をつけさせ、あるいはプロダクシヨンの師弟として親密感を増すことにあつたと主張するところ、被害者らの検察官に対する各供述調書によれば、被告人が被害者らにした行為は単にその裸体に手を触れたという程度のものではなく、原判示のとおり写真撮影やトレーニングの際に被害者らに股をいっぱいに広げさせる等さまざまなポーズをとらせ、あるいは乳首を吸い、水虫治療薬をつけた指で陰部を弄び、石けんをつけた手で陰部などをなでまわす等々の卑猥な行為をも行つていることが明らかで、これらの行為からそのわいせつ目的を優に推認し得るところである。この点の所論は採用するに由ない。

所論はまた、被告人の被害者らに対する行為は自由意思に基づく同意を得たうえでのものであつて、強制行為ではないと主張するが、被害者らの検察官に対する各供述調書によれば、被害者らは全裸になることを要求されて直ちに着衣を脱いだのではなく、甲野はパンテイ以外の着衣を被告人にはぎ取られたあとパンテイに手をかけられるのがいやで自らこれを脱ぎ、乙野もスカートを降ろすなどされ、パンテイを膝付近まで下げられてしまつたので、あきらめて自らこれを脱ぎ、丙野はぐずぐずしていたところを被告人にせかされてパンテイひとつになつたが、さらに「なぜパンテイを脱がないんだ。」ときつく言われて仕方なく脱いだものであり、また被害者らは乳首を吸われ陰部付近をなでまわされるなどする前に「やめて下さい。」「自分でやります。」などと言い、あるいは被告人の手を払いのける等の拒否的態度をとつたもので、被告人はこれに構わず右の行為に及んだことなどが認められ、被告人が被害者らにした原判示の種々の行為が被害者らの同意に基づくものでないことは明らかであるから、この点の所論も採用するに由ない。

所論はまた、被告人が被害者らを抗拒不能に陥らせたこともその抗拒不能に乗じたこともないと主張するところ、被害者らの検察官に対する各供述調書、被告人の司法警察員に対する昭和五四年八月三〇日付、同年九月三日付各供述調書などによれば、被告人(当時三七歳)は労働大臣の許可を受けて音楽家、マネキン、モデル等の有料職業紹介を業としていた有限会社大出芸音プロダクシヨンの実質上の経営者であつて、所属契約を結んだタレント志望者等をテレビ会社等に紹介していたものであり、被害者らはそれぞれ四万円の入会金の全部または一部を支払つて右プロダクシヨンと所属契約を結び、モデルとして売り出されることを望んでいたが、甲野は一九歳の学生、乙野は二一歳の会社員、丙野は一六歳の高校生であつて、いずれも年が若く社会経験にも乏しかつたこと、被告人は被害者らを原判示のマンシヨン六階のスタジオに誘い込み、出入口ドアを閉め(原判示第一の(二)、同第二の場合はさらに施錠している。)、一対一の状況のもとで、被害者らを全裸にさせるべく被害者らに対し、全裸になつて写真撮影されることもモデルになるため必要である旨の原判示のような発言をし、被害者らが躊躇を示すと前叙のとおりさらに強く要求しあるいは自ら被害者らの着衣に手をかけるなどして全裸にさせたことが認められ、以上の被告人及び被害者らの年齢、性別、社会経験の程度、なかんずく被告人が被害者らの志望を実現させることのできる地位にあつた事情にかんがみると、被害者らの検察官に対する各供述調書中の供述記載のとおり、被害者らは被告人の右発言によつて、全裸で写真撮影されることもモデルになるため必要なことであり、これを拒否すればモデルとして売り出してもらえなくなるものと誤信し、被告人の執ような言動に対する諦めの気持も手伝つてやむなく全裸になつたものと認定するのが相当であり、このような場合は被害者らは社会の一般的常識として心理的に抗拒不能の状態に陥つたと解すべきであり、またその後の被告人と二人きりの密室内で全裸でいる被害者らの状態がそのままでは脱出できず、抗拒不能の状態といえることについては多言を要しないところである。これに対して所論は、被告人がモデルとなるためには裸になれないと駄目だと言つたとしても、被害者らは全裸になつて写真撮影されることを拒否しようと思えば十分可能であつたと主張するところ、物理的な強制があつたわけではないから、被害者らが被告人の発言によつて前叙のような誤信に陥らなかつたというのであれば右の主張もうなずけないわけではないが、被害者らは前叙のように誤信したことが明らかであつて、そのような状況のもとでは被害者らの年令、社会経験等に照らし、一般的に考え、もはや被害者らに被告人の要求を拒否することを期待するのは著しく困難であつたと認められるから、右主張は理由がなく、その他所論が種々主張するところを逐一し細に検討してみても、前叙の結論を左右するに足りない。この点の所論も採用するに由ない。

以上論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意中法令適用の誤りの主張について

所論は、要するに、原判決が判示する事実によつては被告人が被害者らの反抗を抑圧し、ないし著しく困難にしたとはいえないから、原判示事実をもつて刑法一七八条にいわゆる「抗拒不能」の要件を充たすものとして同条を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、同条にいわゆる「抗拒不能」とは心神喪失以外の意味において社会一般の常識に照らし、当該具体的事情の下で身体的または心理的に反抗の不能または著しく困難と認められる状態をいい、暴行及び脅迫による場合を除きその発生原因を問わないところ、さきに抗拒不能に関する事実誤認の所論について判断したとおり、その際認定した諸事実すなわち被告人は相当額の入会金を支払つて所属契約を結びモデルとして売り出してもらうことを志望していた被害者らについて、その希望を実現させることのできる当該プロダクシヨンの実質的経営者の地位にあつたという被告人と被害者らとの地位関係、被害者らの若い年齢や社会経験の程度、被告人の言うことを信じそれに応じなければモデルとして売り出してもらえないと考えた被害者らの誤信状況などを総合すれば、社会一般の常識に照らし、被告人の全裸になつて写真撮影されることもモデルになるため必要である旨の発言等は被害者らをそのように誤信させ、少くとも心理的に反抗を著しく困難な状態、換言すれば前示抗拒不能に陥らせるに十分であり、その結果被害者らはその状態に陥つて全裸になつたものであり、また被害者らが全裸になつて被告人と二人きりで密室内にいる状態が抗拒不能の状態と解すべきことも重ねていうまでもないところであり、原判決はその判文から明らかなように、これら諸事実の重要部分を全て被告人の所為によるものとして摘示したうえ原判示事実について前法条を適用したものであるから、原判決には法令適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 千葉和郎 神田忠治 中野保昭)

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